歯車

からからぐるぐる

最近

私は堪え性というか、ある種の忍耐力がない人間なので、「あ、これはダメだな」思ったら、物事を放棄しがちな人間である。
例えば、某回転寿司チェーンにバイトで応募し、受かったので、研修(無給)に行く事になった。研修とはいえ、時間を使わせといて無給というのはなんとなく腑に落ちなかったけど、社会とはそういうものだと考えて、普通に行った。
行った先では矢鱈と分厚いマニュアルを見せられて、「これを覚えてない奴は怒鳴る事がある。俺はよく怒鳴る男だ」とか言われて、一気に働きたくなくなった。その他には、求人票には2週間ごとにシフトを提出とあったのに、実際は3ヶ月ごとだという事が発覚した。とても嫌な感じがした。
研修後、着替えの為に控え室に戻ると、高校生がたむろしていて、お互いの悪口を言い合う事で親睦を深めるという理解不能な文化が発生していた。のみならず、その罵倒大会には社員も参加していた。
なるべく避けようと思っていたけど、会話が私に回ってくる事になった。
高校生「俺の志望校〇〇大学なんすよ」
社員「今度来るばく君は〇〇大学やで」
高校生「えー」
社員「なんか聞きたい事あったら聞いときや」
以降、余りに不愉快につき、省略。。

とにかく、私はそのバイトを辞めることを決意した。研修の翌日、従兄弟を引き連れ、制服を紙袋に詰めて、回転寿司に向かった。
従兄弟達には外で待っていてもらい、私はレジに特攻し、店長を呼び出した。
出てきた店長に「無理です。辞めます。」制服を突き返した。ハキハキと言えた自分に驚いた。
店長は「マジかよ」の一言と共に奥に戻った。
その後、勇気をくれた従兄弟達に、本屋で奢り、喫茶店で奢り、その他諸々、欲しいというものを全て奢った事は言うまでもない。



それと似たことを近々します。今度は研修どころではない。2日働いた所で、制服を突っ返します。次のバイト先が決まったらですが……

2017年6月7日(水)

 就活が苦しい。

 有効求人倍率が上がろうが自分に対する恩恵がなければ意味はないし、そういう意味では今でも氷河期だと思っている。

 しかし、私が苦しいのは完全に私のせいであって、社会は全然悪くないし、実際求人倍率は上がっているらしいし、一人で氷河期を味わっている。

 いろいろしておくべきだったのだと思う。企業研究とか業界研究とか、学内セミナーに行くとか、まあ、様々な下準備をする時間はあったと思う。

 

 それを怠った。しなかったし、行かなかった。当然の結果。

 

 就活を始めた時期は悪くなかった。3月中ごろから始めたから、やや遅れ気味とはいえ、決して手遅れではなかったと思う。

 致命的だったのは、予定を漠然と立てていたこと。全てが曖昧であったこと。志望職種もはっきりさせず、ただ、内定さえ取れれば良いという考えだったこと。

 「就活の一幕」というタイトルで書いたような微妙な会社に応募したり、住むあてもないのに、引越し費用の算段も出来てないのに、東京の会社に行きまくって、せっかく、最終面接まで行ったのに選考辞退する羽目になったり。。

 

 まあ、その無計画な行動も私が勝手にしたことだから、私が悪い。

 

 結果、今に至る。目ぼしい企業は説明会が終わり始めている。選考が終わっている企業もある。手遅れ。手遅れ。手遅れ。

 

 

 そのうち、全部終わるのかな。。。

 

 いや、明後日面談のお願いした企業、全然連絡返してくれないな。連絡は届いているはずなのに、向こうから日付を選ぶように言ってきたのに......からかわれたのかな...それとも、もう、終わってしまったのかな。。。

たまには…

身近なストレスってよく考えたら沢山あって、外出時に家の鍵閉めたかどうか思い出せなくてずっと気になってしまったり、電車乗ってる時に人とぶつかったりするとヒヤヒヤするし、歩いてる時に財布とか落としたんじゃないかと気になったり、数え上げるとキリがない。

でも、そういうストレスも簡単な行動によって多少は減らせるかもしれないし、それによって行動が変わってくることもある。

実際、1つの行動が複数の行動を変えることはあって、例えば私の場合、ストレスのかかる実家だと1日か2日でボトル1本飲んだ挙句、1日中無気力になったりするけど、東京行くと1日ビール1本ぐらいでセーブできたり、休肝日作って、ストレッチしたり、毎日外に行って就活したりするようになる。

逆から考えると変えない限り変わらないので、ストレス下であっても、アルコールとか精神薬などをキックにして、とにかく動きを起こしてみるのも、たまには必要なのかなとか、山科から京都の長いトンネルの中で思いました。

2017年6月5日(月)

 勇気がない。勇気が出ない。もともとかなり臆病な方だし、具体的に言うと、中学生ぐらいまではよく泣く方だったし、あまりに泣きすぎて、泣くと目立つので、イジメすら自然消滅した。そういう時は司馬遼太郎とか柴田錬三郎など強い人間が出てくる本を読んで精神的支柱にしていたのだけど、大学生になってからお酒を覚えた。

 今では、アルコールが勇気の源になっている。

 アルコールがないとメール1つまともに書けない。twitterでリプライを送ることもほとんどない。外に出る事すら躊躇してしまう。怖い。何が怖いかというと、私の行動が原因で、嫌われたりする恐れとか、その結果攻撃されたりとか、その他諸々に恐怖がある。

 宗教を支柱にするという手もあるけど最終手段みたいなので、まだ狂信的にはならない。

 難しいものだ。人生は。思った通りにならないどころか正反対の方向から襲ってくるのだから。まあ、私だけでなく、社会に出ているいろんな人も同じような苦しみを味わっているかもしれないので、私ひとりじゃないと思えば気が楽、と自分に言い聞かせて今日は生き延びました。

 

2017年6月4日(土)

 アナログで書いている日記帳がドイツ語だらけで今となっては解読不能なので、たまにはこっちで日記を書こうと思う。

 

 今朝、AM6時頃に起こされる。廊下で死んでいた。経緯は覚えていない。最後の記憶は自室でボイラーメーカー(ウイスキーとビールのカクテル。バクダンのような飲料)を飲んでいた。

 気が付いたら廊下。次の記憶は自室で布団に入る。記憶が切れる。次の記憶は、卵を焼いている。弟の為に。次の記憶では気が付くと布団で寝ている。そして、起こされた。

 二日酔い。を「宿酔い」と書くのは何故だろうとか考えながらフラフラ酔っていた。朝なのに。無理やり動く。ふと、部屋の中に開きっぱなしになった缶ビールを見つけた。夜になるまで待ったら、アルコールが抜けてしまうかもしれない。とりあえず飲んだ。缶に残っていたアルコールが胃に沁みた。私は二日酔いから普通の酔いになった。

 その後、廊下と弟の部屋、自室に掃除機をかけて部屋で完全自殺マニュアルを読んだ。ブロバリンが欲しくなった。

 死にたいのか死にたくないのか朦朧としながら、就活サイトで求人を漁っていたら「もうだめだ」という感情が高まってきたので、ウイスキーと本に逃げた。

 アルコールは有能だ。無敵とは言えないけど、強い。

 とにかく、1日生きていれば、つまらない事でも「1日」の出来事が存在するので、面白くないことなら、書けることが分かった。

就活の一幕

ちょっと微妙な会社に応募した話。


私は今就活中で、関東周辺での仕事を探している。今は関西に住んでいるので交通費などを考えると、チャンスは2、3回。焦っていた。


そこで、なるべく簡単に内定を得られそうな企業ばかりを求人サイトで探していた。


その中の1つが目にとまった。


社員数ギリギリ二桁名、会社の楽しさが強調され、「やりがい」「頑張り次第で」「楽しい」「独立支援」「海外研修」、Tシャツ姿でピースサインの社員の写真、リンクが機能していないホームページ……怪しさ満点だった。


しかし、逡巡したのは一瞬。応募した。


リク〇ートっぽい求人サイトに載っていたし、まあ、警戒するほどヤバい会社じゃないだろうと。載せる前にある程度調べるだろうと。


応募の翌日、いきなり電話が鳴った。
「株式会社〇〇です。応募受付ました。」
「はい。よろしくお願いします。」
「このまま電話面接始めてもいいですかね?」
「えっ。あっ。はい。大丈夫です」
「えー。では志望動機は?」


焦った。何にも考えてなかった。自己PRも志望動機も空っぽだった。まさか翌日に抜き打ちで面接が始まるなんて予想だにしなかった。

とにかく、やる気だけは誰にも負けません的な言説を振り回し、10分ほどで面接は終わった。


数日後に合格の電話があり、説明会と最終面接を受けるように言われた。


速やかに支度をし、選考前日に東京に着いた。


アルコールは控え、眠剤飲むのもやめておいた。最終面接の連絡がきた段階で、ブロンやイチョウ葉も使っていない。面接の少し前にロラゼパム(医者から面接前の服用を命じられている)を飲む。それだけ。体調には細心の注意を払った。


そして、夜中に5回、目を覚まし、6回目に目覚めた時、朝になっていた。


スーツにシワがつかないように、気をつけながら指定されたビルに向かった。そして、きっかり10分前(本当に秒単位でキッチリ10分前)に事務所に入った。


事務所というより、倉庫に偶然、机が置かれているように見えた。床屋の待合席のような椅子に通されて、数分後。


「じゃあこれから普段の仕事を見てもらいますんで」


説明会とはこれの事か。


ビルの外に、箱が縦に積まれていた。よく見ると下にタイヤが付いていた。


「これを運びます」


当たり障りのない会話をしながら駅に連れて行かれる。


駅に着くと「これから電車賃かかるけど、これは自腹になります」


もちろん、電車に乗る事は初耳である。


電車に数箱分のダンボールを乗せる。軽いものではないので、扉の前に陣取る形となり、見るからに迷惑。


しかし、心臓が強い方なのか、ちっとも気にしていないようである。


人々の視線が痛かった。


私はなるべく、無関係ですよ という顔をするように努めた。


某駅で降りた。

 

やれやれ、と村上春樹の小説みたいなことを口に出しそうになった。

 

今度はこのダンボールの山をガラガラと押して住宅街のど真ん中で突然止めて、""すぐに戻ります""と札をつけた。


「ではこれから、こちらの商品を売ります」


ん。えーと。この辺り、見た所家しかないけど、まさか…


おもむろに、ダンボールの一箱を抱えたその人は、私に「君はこれを持って」と一箱押し付けた。


そして、いきなり近くの家のチャイムを鳴らした。


ピーンポーン
「はい」
「おはよーございまーす」
「はい」
「はーーーい!」
「どなたですか?」
「はーーーーーーい!!」


日本語が分からないのか、扉開けるまで名乗らない主義なのか、どちらかは分からないが、もうその場に居たくなかった。


が、いきなり走って逃げるわけには行かないので、そのままズルズルと付いて回った。


私は、止むを得ず、ボランティアの一環として、仕方なくやっているんです という顔をしていたけど、さすがに誤魔化せなかったと思う。ずっと後ろに並んでいるのだから。ダンボール持って。


驚くべき事に、一軒だけ買っている人もいた。

「この野菜は〇〇って言って△△の珍しい××で〜」

と誉め殺されてる野菜、その銘柄は普段から私が家で食べているものだった。

「今日は特売で〜」

と言っている割には、滅茶苦茶高い。2倍ぐらいの値段だった。


詐欺をしている気分だった。


いくら関西と物価が違うとはいえ、さすがにこの値段はない。罪悪感で胸が一杯になった。


とにかく、売れたので、品物を補充しに、最初に放置したダンボールの山に戻った。


すると、「ちょっと電話してくるね。ここで待ってて。」とやたら遠くへ行き、角を曲がってどこかに行ってしまった。


何か聞こえたらマズイような会話をするのだろうか。


待っている間、私は考えた。これは無理だろうと。注視恐怖が酷すぎて精神薬を服用するような人間には不可能だと。それに、今時、こんな商売が続く訳がないと。


しばらくの後、電話を終えたのか、戻ってきた。


そして、

「どう?この仕事。出来そう?いや、ウチでもさ、イメージと違うって辞めたりする人がいたら可哀想だと思って見て貰ったんだけど。どう?」
「他の仕事などはなさったりしないのですか?」
「んー。ウチでは基本、これは全員やる仕事かなー。」


やっぱり日本語が苦手みたいだった。


「もし無理みたいだったら、ここで帰っていいよー」


その時、自分がひどく軽く扱われているように感じた。話し方や、その場の雰囲気、すべてが終わっていた。


イラつきに加え、日差しが強く、頭がぼんやりしていた。「太陽のせいだ」ムルソーなら確実に撃ってたと思う。

 

「ではこれで失礼します。ありがとうございました」


考える間もなく口を衝いて出た。


回れ右してネクタイを緩め、第1ボタンを外し、ツイッターにイライラを書いていた所、ハローワークの事を教えて頂いたので、すぐさま向かった。ようやく1日がスタートしたような気がした。